三浦砂織は元女子アナウンサー(経歴)→タンザニアザンジバル島の神様!世界ナゼそこに?

タンザニアで神様と言われる三浦砂織は、元女子アナウンサーという経歴をもつ。

世界ナゼそこに⽇本⼈に出演の三浦砂織はタンザニアのザンジバル島で、13個のコテージを連ねる宿のオーナーです。

三浦砂織の暮らす島は、伝説のロックバンドのクイーンのボーカル「フレディ・マーキュリー」の知られざる生誕の地です。

三浦砂織が⽇本のどの局でアナウンサーとして勤めていたのか、⾼校や⼤学などのプロフィールを交えて調べてみました︕

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三浦砂織は元女子アナウンサー(経歴)

プロフィール

・名前︓三浦砂織(みうら さおり)

・生年月日︓1959年

・出⾝︓北海道登別市

・⾼校︓北海道室蘭栄⾼校

・⼤学︓京都⼥⼦⼤学⽂学部

北海道の登別市出⾝の三浦砂織は、進学校の北海道室蘭栄⾼校を卒業し、京都⼥⼦⼤学⽂学部に⼊学。

詳しい経歴などは不明なところも多いのですが、今現在の年齢からすると⼤学卒業後の、1982年4⽉頃にアナウンサーとして活動しはじめたようです。

女子アナウンサーまでの経歴

和歌山放送で、アナウンサーとして数々の大物芸人と仕事をしていたという三浦砂織が、ザンジバル島で驚きの転身を遂げていた。

友達に誘われ、興味本位で受けたラジオ番組オーディションに受かった三浦砂織。

地元北海道にある放送局のミニコーナーで、アナウンサーのような仕事を任された。

そこから、しゃべりで人を楽しませるアナウンサーに憧れ、大学卒業後は毎日放送でリポーターの仕事に就いて、華やかなアナウンサー人生をスタートさせた。

その後和歌山放送に移り、坂本冬美さんなど当時の人気歌手をゲストに迎える生放送を担当した。

だがその華やかさとは裏腹の厳しい現実が次第に見えてきた。

自分で何かを作るわけでもなく、放送すればそれで終わりのラジオ番組。

忙しいばかりで何も残らず毎日が過ぎていき、そんな思いをしながら5年間ラジオ中心の生活を送ることになった。

その後は⼤阪の放送局MBSのアナウンサーとして、明⽯家さんまさんややダウンタウン、
関⻄の視聴率王だったやしきたかじんさんらと共演!

⼤阪界隈で有名な女子アナウンサーだったのでしょう。

だが、職場には毎年若い後輩が入社し、気づけば30歳目前。

残りの人生をこのままでいいのか?自問自答の日々を経て、ついにアナウンサーを辞め、ザンジバル島への移住を決意することになる。

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タンザニアの秘島、ザンジバル島の神様!

ザンジバル島はタンザニア本⼟の東側、インド洋に浮かぶ⼩さな島です。

世界では有名な観光地でバスコ・ダ・ガマが喜望峰を⽬指したときの上陸地点の1つだった。

三浦砂織は何か思うところがあったのか、アナウンサーをきっぱりと辞め、今度はバックパッカーとして世界を旅するようになります。

そして、様々な国を旅しているうちに三浦砂織はザンジバル島へ辿り着きます。

アナウンサーという、日々目まぐるしく過ぎていく生活よりも、ここに住めばもっと良い人生が送れるかもしれない。

そんな直感を信じ、ザンジバル島に移住。

その後、現地の貧しい若者を雇って宿を開業したのだ。

困っている時に助けられた従業員達は、三浦砂織を神様のように慕い、心から感謝している。

みな口を揃えて、今の生活があるのは三浦砂織のおかげなのだという。

クイーンのフレディ・マーキュリーの生誕の地

ザンジバル島の場所

ザンジバル島は、伝説のロックバンド「クイーン」の軌跡を描いた大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」そのクイーンのボーカル「フレディ・マーキュリー」の知られざる生誕の地です。

ザンジバル島はタンザニア連合共和国に属するアフリカ東海岸のインド洋上に浮かぶ島々、ザンジバル諸島の地域名です。

ザンジバル島の美しい海と砂浜はアフリカでも有数で、ハネムーンでも⼈気のスポットです。

ヨーロッパではリゾート地として抜群の知名度があってセレブや観光客の⼈気スポットになっています。

さらに⽇本ではあまり知られていませんが、ザンジバル島にある『The Rock』は「死ぬまでに⾏きたい海上レストラン」と呼ばれ、知る⼈ぞ知る観光スポットです。

実は⽇本人にとっては⽳場になるので、うじゃうじゃいる⽇本⼈の観光客に混ざりたくない場合、ザンジバル島はおすすめです。!

ザンジバル島の過去

タンザニアの秘境・ザンジバル島には、ある悲しい過去があった。

かつて東アフリカ最大の奴隷市場があり、約2000万人の人々が奴隷として金や牛、布と引き換えにヨーロッパ諸国に売られていった。

今も貧困にあえぐ人々が多く、大半の人がわずか1日1ドル以下で生活しているという。

そんなザンジバル島で英雄と呼ばれているのが、伝説のロックバンドクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー。

死後25年以上経った今でも、彼が生まれ育った家が大切に残されており、現在はホテルとして宿泊可能です!

フレディは世界的アーティストとなってからも、飢餓で苦しむ多くのアフリカ人を救うためチャリティーコンサートに出演。

じつは映画「ボヘミアン・ラプソディ」のクライマックスシーンも、そのチャリティコンサートを再現したものだったのだ!

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三浦砂織のザンジバル島での生活

ザンジバル島での生活

現在はザンジバル島の海沿いで、13棟のコテージを有する宿のオーナーとして、20代から40代までの現地スタッフ17名とともに日々働いている。

チェックインの忙しい時間に三浦さんは一人で海へ行き、ウニを取ってきた。

ザンジバル島ではウニを食べる習慣がなく、海に豊富に生息しているため、タダで取り放題!

宿では注文があればウニを軍艦巻きにして提供する。

一番人気はお寿司の盛り合わせで、三浦さん自ら調理する。

海外ならではの驚きの問題が続出!

●シャワーの出が悪いと宿泊客からクレームがあり、新品に取り替えたばかりだったが、担当した従業員に聞くと、取り替え忘れていたようだ。

実はこの従業員昔は泥棒だったという!

14歳の時に勉強についていけず学校を中退。家が貧しく、三浦砂織の宿に忍び込み食料を盗んでいた。

しかし泥棒に入られたにも関わらず、生活に困っていた従業員の学費を援助し、再び学校に行かせたのだ。

卒業後も宿で雇い、20年以上も面倒を見ている。

●宿泊客の中に毒を持ったムカデが入り込み、噛まれたら危険なのでとってほしいと駆け込んできたのだ!

幸いムカデはおらず一安心。

宿泊客は「他のホテルでは絶対に手伝ってくれないわ」と三親身な対応に大感激!

そして今回は凶暴なゾウと戦いがあるようで・・・

世界のナゼそこに?

違う場所に身を置いて、違うものを見てみたかった。職場も変わりたかったのかな。色んな知らない世界に行ってみたかった。

実は三浦砂織はザンジバル島へ移住する前に、有給休暇を使いケニアに語学留学していた。

そこで知り合った現地の人から、綺麗な自然があると勧められ、訪れていた場所こそザンジバル島だったのだ。

本当に感動しましたね。広々としていて雲が素晴らしくて大自然でしょ。生きてるって感じがしました。

おわりに

日本から遠く離れた、アフリカの秘境の島・ザンジバル島に、華やかなアナウンサーを辞め、新たな人生の居場所を見つけた日本人の三浦砂織。

タンザニアで“神様”とまで言われ感謝され、アフリカで狂暴なゾウと命がけで闘う理由とは?

詳しくは番組で!

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