【上野優佳】wiki(プロフィール)と戦績は?フェンシングを始めたきっかけは?

フェンシング女子フルーレ団体で五輪ポイントランクの日本勢最高7位の上野優佳。

まだ19歳と若い。まだ自分もよく知らなかったので、wiki(プロフィール)と戦績や、フェンシングを始めたきっかけとかを調べたよ。

「日本チームは一つメダルを取ったけど、自分が出てメダルを取りたかったのが正直な思い」と悔しがっていたんだ。

右足の怪我で試合に出られなかった悔しさを、東京五輪でぶつけて欲しい!

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上野優佳のwiki(プロフィール)と経歴は?

プロフィール

名前:上野 優佳(うえの ゆうか)

生年月日:2001年11月28日

出身地:大分県

身長:159cm

体重:52kg

出身校:星槎国際高校

幼稚園でフェンシングに触れ、小学2年生で本格的に競技開始。

小学生時代は水泳、中学では陸上にも取り組むなどスポーツ万能。

幼稚園でフェンシングって・・・。

おじさん言葉でいうと、チャンバラって感じなんだけどご両親がフェンシングの選手で、しかもお父さんは日本代表での指導経験もあり、高校の部活動と地元のクラブでも指導しているすごい人なんだ!

だから、チャンバラではなく本格的に教えてたと思われます。

経歴

・18年世界ジュニア選手権優勝

・18年世界カデ選手権優勝

・18年ユース五輪金メダル

・19年アジア選手権2位

ここ2年でメキメキと実力を発揮し始めてきたね!

どうでもいいことだけど、優勝とメダルって違うの?ってことで調べてたけど違いはないみたいだね。

一応こんな感じ⏬

優勝者に金メダル、準優勝者に銀メダル、第3位の選手に銅メダルが授与される。

受賞者はメダリストと呼ばれる。

ただし第1回近代オリンピックでは優勝者に銀メダル、準優勝者に銅メダルが贈られた。

これは以外な発見だった!

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そもそもフェンシングってどんな競技なの?

●フェンシングは3つ種目がある

・フルーレ

フルーレは「優先権」を尊重する種目で、剣を持って向かい合った両選手のうち、先に腕を伸ばし剣先を相手に向けた方に「優先権」が生じます。

相手がその剣を払ったり叩いたりして向けられた剣先を逸らせる、間合いを切って逃げ切るなどすると、「優先権」が消滅する。

逆に相手が「優先権(すなわち反撃の権利)」を得ることになります。

このように、攻撃―防御―反撃―再反撃といった瞬時の技と動作の応酬(剣のやりとり)がこの種目のメインになります。

・エペ

エペの基本ルールは単純明快で、全身すべてが有効面で、先に突いた方にポイントが入り、両者同時に突いた場合は双方のポイントとなります。

ランプの点灯に注目していればどちらの選手がポイントを挙げたか判断できるので、最もわかりやすい種目と言えます。

前腕を狙っての攻防から一転、つま先への意表を突く攻め、あるいは機を見て思い切った接近戦に持ち込んだりします。

スピーディかつ変化に富んだ試合展開が見どころとなります。

・サーブル

ハンガリー騎兵隊の剣技から競技化した種目で、フルーレとエペが「突き」だけの競技であるのに対し、サーブルには「斬り(カット)」と「突き」があります。

ルールはフルーレと同様「優先権」に基づいていますが、「斬り」の技が加わるます。

フルーレやエペよりダイナミックな攻防が見られます。

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フェンシングを始めたきっかけは?

幼い頃から2つ上の兄・優斗とともに、クラブに属する選手と一緒にウォーミングアップで行うバスケットボールやバレーボールに混ざって遊ぶのが楽しくて、練習についていった。

遊び感覚なんだろうけど、知らず知らずのうちに運動神経と経験が身についていったんだね。

最初はただ、それだけのはずだったのだが、気づかぬうちにレールは敷かれていた。

学校の授業を終え、クラブの練習が終わった後はユニホーム姿のまま父の高校へ行き、フェンシング部と一緒に練習した。

泣きながら練習したことも数えきれないが、レッスンの中で兄に勝つとうれしくて、母に自慢しながら報告するのが何より楽しかったようだ。

兄に勝つこと、母に自慢できること、これだけでフェンシングをやる理由は十分だ!

とはいえ、最初からフェンシング選手として上を目指そうと思っていたわけじゃなかった。

「日本でオリンピックがあるんだ。すごいな、見に行きたいな、って。」

ただ楽しくフェンシングをやっていただけだったし、国内でトップになりたいとは思っていたけれど、オリンピックを意識するようになって、視野に入り始めたのは最近だって!

まだ自分の実力を信じられないし、まるで別世界だったのかもしれない。

地元の大分では兄を練習相手に技を磨いたが、大学進学を機に兄が上京した。

それでも当初は大分を拠点に練習していけばいいと考えていた。

でも、刻々と迫る東京五輪、さらにはその先のパリ、ロス五輪で中心選手となり得る上野選手の可能性を周囲も放っておくわけがない。

数多くの誘いの中から、北京五輪日本代表監督も務めた江村宏二氏が指導する星槎国際高への転校を決め、家族と離れて単身で上京した。

そして日本代表として、本格的に世界を見据えた戦いが始まった。

おわりに

おそらく一生に一度の母国開催の東京オリンピック。

見に行きたい、と思っていた。

そしてそれが、オリンピックに出場したいというという夢に変わった。

現実の目標となった今、上野が描く目標は、

「今がゴールではなく、目指しているのはその先。選手としては28歳で迎えるロサンゼルスがひとつの節目になると思うので、それまでの東京、パリに出場して絶対にメダルを取りたいです」

明るい笑顔に秘める勝負師の強さと、どこまでも広がる可能性。

誰よりも速く、誰よりも強く。

今大会は足の怪我で出場できなかった悔しさをバネに、より高く活躍してほしい。

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