神奈川県逗子市小坪4丁目の海岸で春日豊彦さんが土砂に埋まり死亡しました。
春日豊彦さんは宝飾大手のミキモトの社長を1993年から2003年まで務めた。
この記事では春日豊彦さんのプロフィールや経歴をふりかえり、ご家族(夫・子供)について記載をしていきたいと思います。
スポンサードリンク
目次
春日豊彦wikiプロフィールと経歴
・名前:春日 豊彦(かすが とよひこ)
・養子縁組の名前:御木本豊彦(みきもととよひこ)※御木本美隆と養子縁組時。 ・出身大学:上智大学外国語学部英語学科卒業 |
5歳の頃に真っ暗の寝床でふと、
「人生はなんて短いんだろう。しかも一度きりだ」
と思って涙を流しなかなか眠れなかったので、若いうちに世界を見て視野を広げたいと考えたのです。
そして将来は、世界を舞台に仕事をする商社マンになりたいと思うようになりました。
5歳でこんなことを考えているなんて、どんなお子さんだったのでしょうか?しかも涙を流すぐらいですからのことより、もっと先のことを考えていたのです。
春日豊彦が社長だったミキモトとは?
ミキモトは東京都中央区築地に本社があり、宝飾品の製造・販売等を行う株式会社である。
真珠の販売に関して世界一のシェアを持っていて、
・1893年 御木本幸吉が世界初の真珠養殖(半円真珠)に成功
・1899年 御木本真珠店を銀座に開業 ・1905年 真円真珠の養殖に成功 |
●ミキモトの歴代社長
・創業者:御木本幸吉(1899年3月創業)
・初代:御木本美隆(1949年~1969年) ・2代:本間利章(1969年~1981年) ・3代:杉浦重敏(1981年~1984年) ・4代:杉田勝時(1984年~1993年) ・5代:御木本豊彦(1993年~2003年) ・6代:伊藤宣実(2003年~2005年) ・7代:田中敏郎(2005年~2007年) ・8代:森田則行(2007年~2011年) ・9代:吉田均(2011年~ ) |
MIKIMOTOは、Pearl King(真珠王)と呼ばれた創業者・御木本幸吉によって開業。
戦後にはロンドン、ニューヨークなど世界7カ所に視点を開設しました。
現在でも世界のMIKIMOTOとして、ミキモトブランドは引き継がれています。
春日豊彦の九死に一生事件
それは春日豊彦さんが上智大学の英語学科に入学し、3年生の時に偶然新聞でAIESECの海外インターンの募集を見つけてカナダの証券会社で働くことになった時でした。
3か月の研修のあと、世界一周バックパックの旅も決行しましたが、学生でお金がなかったのでそこで移動の手段は、
・船会社との直接交渉で行きは貨物船
・帰りはタンカーに乗せてもらう契約 ・地上での移動はバス、汽車の周遊券 |
シリアとイラクの国境の砂漠の無人地帯を歩いていると、大きな野犬7、8頭に囲まれて全身に鳥肌が立ち、死を覚悟しました。
・目をあわせない
・パニックを起こさない
・侍のごとく堂々と歩く事
を心に決めて何とか100mくらい過ぎた所で振り返ると、大きな羊が血を流して倒れていました。
どうやら野犬は満腹だったから襲われないで九死に一生を得たようで、その時の冷静な判断と行動で命拾いした経験が、春日豊彦さんの後の人生にも大いに役立ったようです。
スポンサードリンク
春日豊彦は宝石品ではなく香水からスタートした
もともとは商社に勤めていましたが妻の父、当時のミキモトの社長からニューヨークに行ってくれと言われました。
春日晴彦さんは5歳頃から、将来は世界を舞台に仕事をする商社マンになりたいと考えていたのでその想いはミキモトでも果たすことができると思い、転職。
そして役員になりたての頃、先輩役員が香水プロジェクトをニューヨークで立ち上げました。
ティファニーの香水が大ヒットした頃でその開発チームをそっくり受け継ぎ、スタートしましたが、先輩役員が急逝。
その後任を任されて2年開発を続けましたが、
・売れている香水は香りの優劣よりもむしろ広告費をいくら掛けるかで勝敗が決まると学ぶ
・小さい企業では勝てないと気づき、プロジェクトから撤退する決断をした
春日豊彦は養子縁組を取り上げられた!
社長の御木本美隆の妻澄子さんの姪と結婚し、御木本家に入った元ミキモト会長の春日豊彦さんから御木本姓を取り上げその関係を断ち切った。
澄子さんが実の子どものように可愛がっていた姪の香さんの死後わずか1年で、春日豊彦さんが再婚したためだ。
一度は養子にしトップの椅子を預けたが、家業を守るために春日豊彦さんは養子縁を切られた。
春日豊彦の家族(夫・子供)は?
県や署によると春日さんは1人暮らしで、家族が23日行方不明届を署に出していた。
とのこと報道と過去の記事から、
結婚し離婚して、再婚した。
家族に関しては詳しくはわかりませんでした。
おわりに
訃報【春日豊彦】の経歴プロフィールは?家族(夫・ 子供)についても!と題して記事を書きました。
逗子署や逗子市消防本部によると、春日さんが見つかった場所は崖下で、崖の一部が縦約6メートル、幅約4メートルにわたって崩れていた。
春日さんは20日夕、犬の散歩に出かけて行方がわからなくなり、県警や消防が捜索していた。
突然の自然災害の事故でした。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
スポンサードリンク